Guitar magazin3月号掲載"Gary"インタビュー全文

			

(未掲載インタビュー含む)

今回は文章のみですが雑誌には掲載されなかったインタビューを含む全文です。

ご協力頂いたw氏に感謝致します。

					

●まずは何よりお身体の調子はいかがですか? 昨年(一昨年?)心臓の手術をされ、現在は活動を再開していますが、ファンは皆心配しています。

○ああ、確かに去年心臓の手術を受けたが、すべて上手くいった。おかげで、 今も元気だし、健康を取り戻すことが出来たね。で、俺達は未だにロックしているよ。だから毎日、神様に感謝しているのさ(笑)。今ではもうすっかり元気になって、ぴんぴんしているから、すべて順調にいっているよ。

● 復帰後はオールマン・ブラザーズとのダブルヘッド・ツアーもありました が、オールマンズとツアーすることに特別な感慨はありましたか?

○ああ、あのツアーは本当に特別な感慨があったな。何せオールマン・ブラザーズの連中とは20年近く一緒にプレイしたことがなかったからね。最初に彼らと一緒にプレイしたのは、70年代のことだったよ。で、彼らと友達になったんだが、その後、ずっと互いにツアーで忙しくて、行き違うことが多かったんで、なかなか会う機会がなかったのさ。だから今回、オールマンズと一緒にツアーをすることが出来て嬉しかったよ。彼らとは未だに友達だし、本当に良い 連中だね。

●初期のオールマンズとレーナードでは音楽性質が異なるにも関わらず、大きく“サザンロック”とカテゴライズされましたが、そのことについては当時どう思っていました?

○俺達は、初めてレコードを制作した1970年代から“サザンロック”というレッテルを貼り付けられるようになったわけだが、それは単に俺達が南部出身だ ったから、そういう呼び名を付けられたのさ。ここアメリカでは、南部の州のバンドだとサザン・バンドと見なされるし、カリフォルニアみたいにウェスト・コーストだとウェスト・コースト・バンドで、ニューヨークのようにイースト・コーストだとニューヨーク・バンドかイースト・コースト・バンドといったレッテルを貼られるんだよ。だから俺達も単にそのノリで、サザン・ミュー ジックと呼ばれるようになっただけだ。何しろ俺達は洒落た衣装を着るわけでもなく、売り物は音楽しかなかったんでね。種も仕掛けもなく、ただひたすら 本物の音楽をプレイしていたのさ。

●あなたたちがデビューする以前に、オールマンズがキャプリコーン・レコー ドよりデビューし、メイコンに新しいシーンが誕生するわけですが、キャプリコーン勢(オールマンズの他に、マーシャル・タッカー・バンドやウェット・ ウィリーなど)の音楽を意識して聴いていましたか?

○実のところ、俺達の世代は、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ヤードバーズ、アニマルズというように、ロンドンのシーンで活躍していたイギリス勢の音楽を聴きながら育ったんだ。それにもちろん、ブルースやグランド・オール・オープリーでやっているようなカントリー・ミュージックも聴いていた よ。で、それらの音楽の要素を取り混ぜて、サザン・ミュージックという自分 達自身の音楽を作り上げたわけだが、しかしオールマン・ブラザーズやマーシャル・タッカー・バンドも聴いていたね。何しろ彼らは俺達がバンドを始めた 頃に活躍していたバンドだったから、俺達はみんな彼らのファンだったのさ。

●彼ら(↑)の音楽が、レーナードに反映された部分はあると思いますか?

○ああ、かつてクラブや高校のダンス・パーティとかで、俺達はデュアン・オールマンをよく見に行ったものだったよ。当時、彼らはオールマン・ブラザー ズ・バンドの前身のオールマン・ジョイズやアワー・グラスというバンドをやっていたんだ。その頃、俺はまだティーンエイジャーで13歳か14歳だったけど、彼らは既にクラブでプレイしていたのさ。ロング・へヤーで実にカッコよく見えたな。実際、彼らからは大いにインスピレーションを受けたよ。

●特にデュアン・オールマンのギター・スタイルは、あなたに強い影響を与えたのではないでしょうか? 特に「フリー・バード」のスライド演奏はデュアン・オールマンに捧げたとして有名ですし。

○ああ、デュアンのプレイに大いに影響されたのは確かだ。だけど「フリー・ バード」に関して言えば、レーナード・スキナードがこの曲を書いて発表したちょうどその頃に、たまたまデュアンがオートバイの事故で亡くなったから、 ロニーは毎晩ステージでこの曲を彼に捧げることにしたんだよ。つまり俺達は いわばセレモニーとして、彼のためにこの曲をプレイすることにしたんだけれど、でも確かロニーは元々デュアンのためにこの曲を書いたわけじゃなかったと思うね。それよりもどちらかと言うと、この曲は女の子へのラヴ・ソングだったのさ(笑)。

●ただし、あなたはスライド・バーを中指にはめますね。この理由は、やはり5thコードを押さえやすくするためですか?

○いや、別にそういうわけじゃないよ。実のところ、スライド・ギターを覚えた時に、中指にはめるように教わったから、ずっとそうしているだけだ。確か 往年のブルース・プレイヤー達も中指にスライド・バーをはめていたと思うし、それに俺がスライドを学んだ頃は、多分デュアン・オールマンもまだ中指にスライド・バーをはめていたんじゃないかな。とにかく俺にとっては、そのやり方が心地いいのさ。

●ジョージア州メイコンにはオールマンズたちが、そしてあなたたちサウンド・オブ・サウス(彼らが所属したレーベル)はジョージア州アトランタに活動の拠点を定めましたが、当時のアトランタにはシーンと呼べるものはありましたか?

○ああ、もちろんあったよ。実際、俺達は当時アトランタにある“ファノッキ オズ”というロックンロール・クラブを根城にしていたんだが、一方、オールマン・ブラザーズは同じジョージア州でもメイコンでよく練習やリハーサルを やっていたものだった。そもそも俺達は、フロリダ州のジャクソンヴィルの出身だったが、ジョージア州のアトランタに来て、その界隈のクラブでプレイしているうちに、音楽業界に見出されたのさ。

●あなたがレーナードをスタートさせた時、どのような音楽性を追求していたのでしょうか?

○要は単にロックンロールとか、ブルース・ロックンロールをプレイしたかっただけさ。で、自分達のオリジナル曲を書き始めたんだけれど、しかしもちろん、バンドを始めた当初はカヴァー曲も山ほどやっていて、その後、オリジナル曲を中心にやるようになっていったんだよ。

●ところで、4作目『ギミー・バック・マイ・バレッツ』ではプロデューサー が、アルからトム・ダウドに変わっていますが、その経緯を教えて下さい。

○アル・クーパーと一緒にしばらくやっていて、確か3作〜4作アルバムを制作した後、そろそろちょっと変化する時期が来たと思ったんだ。で、その頃、たまたまトム・ダウドと知り合ったんで、彼に俺達のレコードのプロデュースを頼んでみようということになったのさ。

●また、アルとトムのサウンドの具体的な違いはどのようなものだと思いますか?

○俺達はトム・ダウドともアル・クーパーとも、とてもよい友達関係を築き上げたけれど、トム・ダウドの方がもっと曲のアレンジを積極的に手掛けて、俺達と一緒にもう少しやってくれたよ。一方、アル・クーパーの場合、俺達はほとんどの曲を既に書き上げていたんで、彼はそれほどアレンジに関わっていなかったな。何せ、アルは俺達にとって初のプロデューサーだったから、俺達としてはさらなる発展をしようと思って、別のプロデューサーに頼むことにしただけだ。だからプロデューサーを変えた理由は、別にそれほど大したことがあったわけじゃないんだ。当時、俺達はマネージメント会社を変えたんだが、マネージメントの連中がトム・ダウドを推薦したんで、そうすることにしたのさ。

●今現在、あなたにとって“サザンロック”とはどのようなものですか?

○うーん、良く分からないけれど、俺にとっては“サザンロック”もただのロックンロール・ミュージックというだけだ。俺達はいつも自分達の音楽を単に ロックンロールと呼んでいるよ。俺達が“サザンロック”と呼ばれるようになったのは、さっきも言ったように、たまたまアメリカの南部出身だからさ。実際、アメリカで南部と言えば、アメリカの他の地方とちょっと違うんだよ。日本では南部と北部にどれほどの違いがあるのか知らないが、ここアメリカでは 南部、西部、北部、東部は、それぞれ物凄く違うんだよ。ほとんど別の国みた いなものだね。だから俺達は、確かにどちらかと言うと南部系のシンプルなタイプのバンドで、俺は南部出身ということに誇りを持っているが、しかし実のところ、俺達は自分達のことを単にロックンロール・バンドと見なしているだけだ。

●現在はリッキー・メドロック(Rickey Medlocke)やヒューイ・トマソン (Hughie Thomasson)がギタリストとして参加し、過去の楽曲を大切にしつつ、さらなる進化を見せていますね。特にリッキーはデビュー以前のレーナー ドのドラマーでした。昔からの友人とともにさらにレーナードを発展させていける現状についてはどう思っています?

○素晴らしいことだと思うね。リッキーは俺達の初のドラマーであり、とても仲の良い友達で、レーナード・スキナードを始めるのに大いに力を貸してくれたんだけれど、その後、彼はバンドを離れて、長年自分のバンドやら何やらをやっていた。で、あの飛行機事故の後、俺達は次第に後退し始めるようになり、そして90年代に再びリッキーが戻ってきたわけだ。彼がまたバンドに戻ってきたことは、まるで円を一周して元の状態に戻ったみたいで、凄くいいことだね。ご機嫌な気分だよ。

●リッキーについて言えば、過去に故アレン・コリンズが担当していたパートを担っていますね。アレンのプレイは非常にアグレッシブでいながら緻密にア レンジされたものでもありましたが、あなたが思うアレンのプレイの特徴というと?

○アレンは実に素晴らしいギタリストだったよ。凄くラジカルで、速弾きが本当に得意だったし、それにある種のスタイルを持っていたが、それがばっちり 決まっていたのさ。リッキーはどの曲も正にアレンとそっくりにプレイしているよ。ソロのパートに関しても、アレンがプレイしていたソロをそのまま再現 しているんだ。何もかも同じように聞こえるね。それはとても良いことだと思うな。リッキーはバンドの結成当初から、アレンの身近にいて、俺達はみんな共に学んできた仲だから、元々彼らは同じようなスタイルを持っているのさ。

●では、77年の忌まわしき事故以前のレーナードに“革新”を付与した、スティーヴ・ゲインズ(g)についてはいかがですか? 彼は非常にバーサタイル なギタリストでしたよね?

○スティーヴも非常に素晴らしいギタリストだった。彼はデトロイトのモータ ウン・ミュージックを聴きながら育ったんだよ。もっともスティーヴの出身は オクラホマだったが、それにもかかわらず、その手の音楽を聴いて育ったのさ。彼のプレイは実にバーサタイルだったし、それに彼は素晴らしいソング・ ライターであり、作詞家としても優れていたね。それに彼の姉妹ほどあまり歌う機会は多くなかったけれど、でもシンガーとしても優れていて、本当に何でも出来る奴だった。あんな逸材を失ったことは、バンドにとって本当に残念な ことだった。実際、スティーヴは素晴らしい才能の持ち主で、俺の大事な友達でもあり、バンドのメンバー全員が彼のことを大好きで、兄弟のように思っていたからね。

●あの(過去の)ラインナップの中で、自分の役割とはどのようなものだと考 えていましたか?

○アレン、ビル、レオン、それにロニー・ヴァンザントと俺は、60年代の後半 にレーナード・スキナードを始めたわけだが、俺達は親友同士で共に成長した 仲だった。俺は彼らと一緒にプレイするのが大好きだったし、のちにスティー ヴが加わってからはスティーヴと一緒にプレイするのも大好きだったよ。スティーヴは俺達とよく似ていたね。だから正に俺達はファミリーみたいなもの で、素晴らしい演奏をしていたよ。実際、スティーヴは速弾きに長けていて、 実に新鮮なプレイを聴かせてくれたし、アレンもスティーヴと同じように速弾きが物凄く得意で、見事なプレイを聴かせてくれた。俺は彼らと一緒にプレイすることが出来て、凄く光栄に思ったし、とても満足していたよ。で、今言ったようにアレンもスティーヴも速弾きが得意だったから、あの当時、俺として はもう少しスロウでメロディックなものをプレイしようとしていたね。つまり、俺の役割はそういったものを付け加えることだった。だけど基本的に、俺達3人はみんな平等で、お互いに盛り上げようとしていたよ。

●機材面で言うと、3者ともピーヴィーのメイス(アンプ)を使用していました。当初あなたはマーシャルやハイワットを使っていましたが、75年半ばにピ ?ヴィーにスイッチし、かなりの期間使い続けましたね。このアンプの魅力とは?

○俺達はピーヴィーのサウンドが好きだったんだよ。何しろピーヴィーのアンプは他のものより温か味があって、より遠くまで音が聞こえるように思えたん でね。70年代当時というのは、ボーカルしかPAシステムを使っていなくて、ギ ターはPAに繋いでいなかったんだ。だからちょっと離れたところに立っている と、アンプの低音部がよく聞こえないんだよ。だけど数あるアンプの中でも、 ピーヴィーのアンプが最も遠くまで音が聞こえるようだったから、ピーヴィー のアンプに替えたのさ。

●現在はメサ・ブギーを使っているようですね?

○いや、俺は未だに昔から持っているピーヴィーのメイスを使っているよ。実のところ、チューブを取り替えたりして、良いコンディションを保つようにしょっちゅう修理しているが、もう30年も同じアンプを使い続けているのさ。現 在リッキーはマーシャルとか他の新しい機材を使っているが、俺達が主に使っている機材は、ギブソンとピーヴィーとマーシャルだね。

●また02〜03年にかけて、ギブソンからあなたのシグネイチャー・モデルが2本リリースされました。59年製レス・ポールをもとにしたモデルと、61年製 SGをもとにしたモデルですが、オリジナル器と比べていかがですか?

○これらのモデルはオリジナルを寸分違わず複製していて、本当に素晴らしいよ。あんなにそっくりに再現できるなんて、ギブソンは実に驚くべき会社だ ね。それこそ切り傷や引っ掻き傷とか、外気による変色に至るまで、すべて使い古しの俺のギターを忠実に再現しているのさ。それにピックアップも古いものに見えるように仕上げてあるんだ。だから新品のギターでありながら、見た 目は正にビンテージ・ギターに見えるんだよ。凄くクールだね。とにかく、俺のためにギブソンがこんなに素晴らしいシグネイチャー・モデルを製作してくれたなんて、実に光栄なことだ。本当に有り難いね。

●SGに関して言えば、あなたはキャリア当初より数本のモデルを所有していましたね。今回のシグネイチャー・モデルはどのSGをベースにしたものでしょうか?

○今回のシグネイチャー・モデルの基になったのは、俺が持っている61年製のSGだ。これはとても古いギターで、ハムバッカーが搭載されているが、ギブソンはそのギターを再現したのさ。「フリー・バード」で使っていたものだよ。

●リッキーもステージでプレイしているアレン・コリンズ・モデル(エクスプ ローラー)についてはどう思います?

○アレン・コリンズ・モデルは実に素晴らしいギターで、サウンドがとてもいいよ。アレンが持っていたオリジナルのギターと同じトーンなんで、気に入っている。俺としては、リッキーがこのギターを使ってくれて嬉しいよ。

●ところで、現在はシールドは何をお使いですか? シールドにこだわりはありますか?

○よく覚えていないが、かつては多分標準的なシールドを使っていたんじゃな いかな。だけど今では、シールドは使わず、ワイヤレスにしたんだよ。実際、 ネイティー(?)のワイヤレス・ユニットを使っているね。

●ワイヤレスにした理由は?

○ワイヤレスの方が、今っぽいステージに見えるからだよ。それに俺達はギターが3本にベースが1本あって、さらにマイクの配線もあるから、全部で5〜6 本のシールドを使っていたわけだけど、そうなるとシールドがこんがらかって、絡み合ったりするんで、途中で中断してそれを解いたりしなきゃならない から、大変だったのさ。で、ワイヤレスを使った方が楽だし、見た目もいいんで、そうすることにしたんだよ。

●メルベイのグリーン・ピックはいつからお使いですか?

○グリーン・ピックを使い始めたのは、1970年のことだった。当時、このピックを見付けて、使ってみたら凄く使いやすかったんだ。片端は実に薄いんだけど、逆さまにして向きを変えて握ると凄くハードなんだ。だからひとつでライトとハードの両方に使えるから、やりやすいのさ。ハード・ピッキングであれ何であれ、どちらにせよ、俺はピックの両端を使うのが好きなんだよ。

●ところで、現在のステージではほとんどの楽曲が半音下げにして演奏されていますが、この理由は?

○時々半音下げで演奏するわけは、ジョニーのボーカルのためなんだ。というのも、俺達は毎年150回以上ライブをやっているが、ライブのたびにジョニー は物凄くでかい声でハードに歌ったり、思い切り叫んだりしているし、アルバ ムを制作する時も彼は目一杯歌ったり叫んだりしているから、ジョニーにとって半音下げにした方が楽なんでね。それに半音下げの方が、もっと低音が利いて、迫力が出るんで、サウンド的にもよくなるからだ。

●03年に行なわれたデビュー30周年記念ツアーの音源と映像が『LIVE』として リリースされましたね。レーナードの活動はひと言でくくれないほど悲喜こもごもがありましたが、現在あなたの中でレーナードでプレイすることには、どのような意義を感じていますか?

○レーナード・スキナードは、俺にとって何よりも大事なものだ。未だにレーナードでプレイすることが出来て、俺はとても恵まれていると思う。俺はとにかくこの音楽が大好きだから、この先も末永く俺達の音楽をプレイし続けたいと思っている。ファンが見に来てくれる限り、俺達は音楽をプレイし続け、世界にレーナード・スキナードを広めて、俺達の才能を人々と分かち合うことが 出来るのさ。昔の曲であれ、新しい曲であれ、人々が俺達の曲を聴きたがってくれるのが、何より重要なんだ。本当に光栄に思っているよ。

●世界各国には多くのトリビュート・バンドが存在します。こと日本にも、あなたたちの音楽をリスペクトし続けるバンドは多いのですが、そのようなトリ ビュート・バンドについてはどう思いますか?

○さっきから言い続けているように、そういった人々がいてくれるというのは、本当に光栄なことだし、とても幸せに思う。実のところ、最も名誉なことは、誰か他の人から君のようになりたいとか、君のようなサウンドを出したいとか言われることだと思う。それこそが何よりも最高の褒め言葉だと思うね。 だから彼らが俺達の音楽を聴いて、気に入ってくれたなんて、本当に嬉しいよ。

●また、あなたたちの音楽を敬愛していたダイムバック・ダレルが昨年凶弾に倒れました。あの事件についてあなたが思うことは?

○ああ、あの事件のことは聞いたが、本当に気の毒な話だ。ダイムバックとは直接の知り合いではなかったけれど、彼らのアルバムについては知っていたよ。彼らは実に素晴らしいバンドで、ダイムバックも優れたギタリストだったと思う。あんなひどい事件は、二度と起こって欲しくないね。

●レーナード・スキナードの今後予定と展望を教えて下さい。

○目下、新曲を書いている最中で、今年中に新しいアルバムを制作するつもりだ。それにこの夏には、またオールマン・ブラザーズと一緒にツアーをやることになっているし、他にもビッグなツアーをやる予定だよ。ともあれ、見に来 てくれるファンがいる限り、俺達はずっとツアーをやり続け、元気にプレイし 続けるつもりだ。この先もただひたすらプレイして、自分達の拠り所であり、 信念でもあるレーナード・スキナードの音楽を世界に広め続けたいと思っている。俺達が唯一知っていることは、音楽をプレイすることだけだ。そしてそれこそが、最高の喜びであり、名誉なことなのさ。

●来日の予定はないのですか?

○今のところ、今年中に日本へ行けるかどうか、まだ分からないけれど、日本 にはこれまでに数回行ったことがあるんで、日本や日本人がどんなに素晴らしいか知っているよ。俺達はみんな日本が大好きだから、機会があれば、是非とも日本へ行きたいと思っている。プロモーターが呼んでくれるなら、いつでも喜んで必ず行くよ。

●ファンにメッセージをお願いします。

○君達を愛しているよ。俺達の音楽を聴いてくれて、どうもありがとう。出来るだけ近いうちに日本へ行くことが出来るように願っている。新しいアルバムを楽しみに待っていてくれ。